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大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)3377号 判決 1976年10月14日

原告

貫和秀夫

被告

株式会社松花園

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告に対し、金一九九万八〇七八円及びうち金一八一万八〇七八円に対する昭和四六年八月二九日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは各自、原告に対し、六七九万〇一三九円及びうち六三九万〇一三九円に対する昭和四六年八月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四六年八月二八日午前七時五〇分ころ

2  場所 高槻市緑ケ丘三丁目六五三番地先道路上

3  加害車 小型貨物自動車(大阪四四の七五七三号)

右運転者 訴外村瀬政介(以下村瀬という。)

4  被害者 原告

5  態様 原告が原動機付自転車(以下被害車という。)を運転して道路左側を北方から南に向けて進行中、南方から北に向けて対面進行してきた加害車が右折し、南行車線を横断して東側の被告会社方へ入ろうとして加害車左後側部を被害車に衝突させ、原告を北行車線に跳ねとばした。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告松村は、加害車を所有し、被告会社は、同車を業務用に使用し、いずれも自己のために運行の用に供していた。

なお、被告会社は、本件事故後の昭和四七年一一月八日に設立登記されて成立した株式会社であり、本件事故当時は設立準備中であつたが、被告松村らは、本件事故当時も被告会社として営業活動をしていたのであつて、このことは、運転手である村瀬が事故後司法警察員に対し「昭和四五年八月から被告会社で造園の仕事をしている」旨供述しており、また、被告松村も事故当時原告に対し「株式会社松花園代表取締役松村新作」なる名刺を手渡していることからも裏付けられる。そして、本件事故は、被告会社の設立準備中における営業活動に伴つて惹起されたものであるから、右事故による設立中の被告会社の損害賠償義務は、当然に設立後の被告会社に引継がれるのである。以上の法律関係は、後記使用者責任についても同様である。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告会社は、村瀬を雇用し、同人が被告会社の事業の執行として加害車を運転中、本件事故現場は、直線道路であるから、右折横断しようとする自動車運転者としては、あらかじめ右折指示器を出してセンターラインに寄り、対向車両を注視してそれとの間に十分な間隔をとつて右折横断すべき注意義務があるのに、村瀬は、これを怠り、原告が被害車を運転して時速三〇ないし三五キロメートルで対向、南進してきているのに、その直前で急に加害車を右に転把して対向車線を横断し始めた過失により本件事故を発生させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

頭部外傷Ⅱ型、下顎骨骨折、右橈骨骨折、左大腿・膝蓋骨解放性骨折、胸部打撲挫創、左前腕挫創

(二) 治療経過

入院

(1) 昭和四六年八月二八日から昭和四七年七月二八日まで三三七日間、大阪医科大学付属病院(以下大阪医大病院という。)に入院。

(2) 昭和四七年八月一七日から同年九月二五日まで四〇日間、浜坂七釜温泉病院に入院。

通院

(1) 昭和四七年七月二九日から同年八月一六日までの間に二二日、大阪医大病院に通院。

(三) 後遺症

左足が右足に比べて五センチメートル短縮し(自賠法施行令別表後遺障害等級八級五号)、左膝蓋骨が欠損して左膝関節と左足関節に著しい運動障害が残り(同一〇級一〇号)、走ることや正座することができないばかりでなく、歩行、座居、階段の昇降も著しく困難である。また、九歯を歯科補綴しており(同一二級三号)、顔面にも醜状が残つている。

2  治療関係費 二七万〇七七〇円

(一) 治療費 七万〇六七〇円

治療費として、大阪医大病院において一八六〇円(ただし、自己負担分)、浜坂七釜温泉病院において一万四〇六〇円(ただし、自己負担分)、補助装具代として四万七五五〇円、診断書料として七二〇〇円、以上合計七万〇六七〇円を要した。

(二) 入院雑費 一一万三一〇〇円

入院中一日三〇〇円の割合による三七七日分

(三) 入院付添費 七万二〇〇〇円

前記大阪医大病院への入院中の六〇日間母が付添い、一日一二〇〇円の割合による六〇日分

(四) 通院等交通費 一万五〇〇〇円

大阪医大病院への通院のための交通費として、タクシー、バス代七七二〇円、浜坂七釜温泉病院への入退院のための交通費として汽車賃七二八〇円(原告本人分及び原告の右入院に際し父の付添を必要としたため父の分三一四〇円の小計)、以上合計一万五〇〇〇円を要した。

3  逸失利益 四八五万〇三六九円

(一) 休業損害 七七万〇七六〇円

原告は、事故当時二四歳で、尼崎市役所大庄支所内福祉事務所に勤務し、一か月当り五万九八八八円(行政職五等級六号俸、給料月額(以下基本給という。)五万三六〇〇円と調整手当四二八八円(基本給と扶養手当(ただし、原告には同手当は支給されない。)との合計の八パーセント)及び特殊勤務手当二〇〇〇円との合計)の給与収入を得ていたが、本件事故により昭和四六年八月二八日から昭和四七年一〇月三一日まで休業を余儀なくされた。

ところで、原告の右給与は、昭和四六年一〇月一日五等級七号俸に昇給し、前記基本給が五万三六〇〇円から五万六三〇〇円に増加したものであるところ、前記休業のため、その間のうち昭和四六年八月二八日から昭和四六年一二月二一日までは、有給休暇の消化と私療休暇により所定の給与全額の支給を受けたものの、右以後は次のとおり六一万一九八五円((1)と(2)との合計)の給与収入を失つた。すなわち、

(1) 昭和四六年一二月二二日から昭和四七年三月二〇日までは、右昇給による給与の半額の割合による一一万六三〇五円(基本給分一〇万四二六〇円と調整手当及び特殊勤務手当一万二〇四五円との合計)の支給を受けられなかつた。

(2) 昭和四七年三月二一日から同年一〇月三一日までは、次のイ、ロの合計四九万五六八〇円全額の支給を受けられなかつた。

イ 前記五等級七号俸の基本給分四四万三一〇〇円(ただし、同年四月一日以降は、同号俸の基本給が五万六三〇〇円から六万三三〇〇円に改定されたため、これに基づく。)と調整手当及び特殊勤務手当分四万九四四八円との合計四九万二五四八円

ロ 原告は、前記休業をしなければ、昭和四七年一〇月一日には定期昇給により五等級八号俸、基本給六万六二〇〇円になるところ、右昇給が休業期間後に延伸されたことによる、右一〇月一日から同年一〇月三一日までの間の右昇給による基本給と従前の基本給(六万三三〇〇円)との差額二九〇〇円とこれに基づく調整手当差額分二三二円との合計三一三二円

また、原告は、前記休業のため、昭和四六年末、昭和四七年夏期及び同年末の各賞与支給につき減額ないし停止され、合計一五万八七八三円の支給を受けられなかつた。

(二) 将来の逸失利益 四〇七万九六〇九円

原告は、前記のとおり昭和四七年一〇月一日の定期昇給が延伸され、一か月当り三一三二円の給与が支給されなかつたところ、この延伸は満六〇歳の定年まで三六年間影響することは確実である(因みにこれを年別ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、七六万一八二八円となる。)うえ、昭和四九年九月一八日には前記後遺障害による歩行困難のため、外出先の大阪駅階段で転倒し、同日から同月二五日まで欠勤して通院加療を余儀なくされたことがあり、今後とも同様の転倒事故により休職若しくは退職を余儀なくされる虞れがある。したがつて原告は、前記後遺障害のため、その労働能力を少くとも二八パーセント喪失したものであるというべきところ、原告の就労可能年数は昭和四七年一一月一日から六〇歳の定年まで三六年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、四〇七万九六〇九円となる。

(算式 59,888×12×0.28×20.274=4,079,609)

4  慰藉料 四〇〇万円

5  被害車破損料 三万九〇〇〇円

6  弁護士費用 四〇万円

四  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

1  自賠責保険から 二三九万四六〇〇円

2  被告らから 三七万五四〇〇円

五  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。ただし、弁護士費用に対する遅延損害金は請求しない。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  請求原因一の1ないし4の事実は認めるが、5の事実は争う。

二  同二1のうち被告松村が加害車を所有していたこと、被告会社は本件事故当時設立されていなかつたことは認めるが、被告会社が同車を業務用に使用し、自己のために運行の用に供していたことは否認する。

なお、村瀬は加害車を無断で運転中本件事故に遭遇したものである。

三  同二2の事実は否認する。

四  同三の事実は不知。

五  同四の事実は認める。

第四被告らの主張

一  免責(被告松村)

本件事故は、原告の一方的過失によつて発生したものであり、被告松村は、平素から交通事故防止について従業員を十分注意し、監督しており、村瀬には後記のとおり何ら過失がなかつた。かつ、加害車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたから、被告松村には損害賠償責任がない。

すなわち、本件事故は、村瀬が前方を注視し、かつ、右折の合図をし、安全確認をして右折しようとしていたところへ、原告が前方を注視せずに猛スピードで下り勾配を走行してきて衝突したために発生したもので、その際原告は、ブレーキもかけなかつた。

二  過失相殺(被告ら)

仮に村瀬に過失があつたとしても、本件事故の発生については原告にも前記のとおりの過失があるから、損害賠償額の算定にあたり大幅な過失相殺がされるべきである。

第五被告らの主張に対する原告の答弁

被告らの主張一、二の事実は否認する。

第六証拠関係〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第一二ないし第一六号証、証人村瀬政介の証言及び原告本人尋問の結果によると、同5の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二責任原因

(運行供用者責任)

一  被告松村について。

被告松村が加害車を所有していたことは当事者間に争いがない。そして、後記二の認定事実によれば、同被告の加害車に対する具体的な運行支配・利益は喪失されていなかつたことが認められ、また、後記第三のとおり同被告の免責の抗弁は認められないから、同被告は、自賠法三条により本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  被告会社について。

前掲甲第一二ないし第一四号証、成立に争いがない同第一七号証、成立につき被告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべき同第二六号証、証人村瀬政介の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、被告会社は、本件事故後の昭和四七年一一月八日に設立登記されて成立した株式会社であり、本件事故当時は設立準備中であつたが、既に高槻市緑ケ丘三丁目六五三番地(設立後の本店所在地と同じ。)に事業所を構え、発起人である被告松村らによつて従業員を雇用し、かつ松花園ないし株式会社松花園の名義を用いて造園及び土木の営業活動をしていたこと(被告会社が右年月日に設立登記されて成立した株式会社で、本件事故当時は設立準備中であつたが、被告会社として営業活動をしていたことは、被告らにおいて明らかに争わないから自白したものとみなす。)、被告松村は、本件事故当時既に被告会社代表取締役名を称しており、かつその所有する加害車を設立中の被告会社に提供していたこと、村瀬は、昭和四五年八月から設立中の被告会社に雇用され、かつ本件事故当時右被告会社において加害車を通勤用及び業務用に使用することを容認されて同車をこれらの目的に使用していたものであるところ、事故当日は午前七時三五分ころ加害車を運転して自宅を出発し、右被告会社に出勤する途中、本件事故を惹起したものであること以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、一般に設立中の会社においては、営業をなしうる状態にある会社を設立することを目的とするから、右会社の機関である発起人の権限としては、原則として設立のために必要な行為及び開業準備行為に限定され、営業行為その他の行為には及ばないところであるが、しかし、右会社の実質的権利能力自体は右設立目的に限定されないものというべきであるから、設立中の会社の保有する車両がその設立目的外の行為に使用された場合においても、具体的な運行支配・利益が喪失されない限り、右使用によつて発生した事故に基づく自賠法三条による運行供用者責任は、右設立中の会社に、したがつて、成立後の会社に成立と同時に帰属すると解するのが相当である。

そこで、前認定事実に基づき、これを本件についてみるに、本件事故当時設立準備中であつた被告会社は、発起人である被告松村からその所有する加害車の提供を受けてその一般的な運行支配・利益を有していたものであるが、従業員である村瀬が加害車を営業用及び通勤用に使用すること自体は右被告会社の設立目的の範囲内の運行とはいえないけれども、右使用をもつて直ちに右被告会社の加害車に対する具体的な運行支配・利益が喪失されたものと解することはできないから、設立中の被告会社は、本件事故による原告の損害につき自賠法三条による運行供用者責任を負担し、したがつて、成立後の被告会社は、設立日である昭和四七年一一月八日に直ちに右責任を負担するに至つたものと解すべきである。

第三被告松村の免責の抗弁について。

前掲甲第一二ないし第一六号証(ただし、第一四号証中後記措信しない部分を除く。)、証人村瀬政介の証言及び原告本件尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)によると、本件事故現場付近の道路は、南北に通じる府道枚方亀岡線上で、アスフアルト舗装された平坦な直線道路であつて、前方の見通しがよいところ、センターラインによつて北行車線(幅員四・一メートル)と南行車線(幅員四・二メートル)とに区分されていたこと、事故現場は、道路東側にある設立中の被告会社事業所の門前に位置しており、また、付近を走行する車両の最高速度は、時速四〇キロメートルに制限されていたこと、村瀬は、右被告会社方に出勤するため、前記北行車線を南方から時速約三〇キロメートルで北進し、右被告会社方から約五〇メートル手前で右折の指示器を表示するとともに時速約二〇キロメートルに減速してセンターライン寄りに引続き走行していたところ、衝突地点(前掲甲第一二号証中現場見取図<×>参照)から一〇・七メートル手前(同見取図<1>参照)に差しかかつた際、進路前方三四・一メートルの南行車線東寄り(道路東端から約一・五メートル)の地点に北方から対向南進してくる被害車を発見したこと、しかるに、村瀬は被害車より先に右折横断して前記被告会社方門内に進入できるものと軽信し、右発見後は被害車の動向を看過し、漫然同一速度で右被告会社方門前付近に到つたうえ、右折して南行車線を横断中、加害車左後側部を被害車に衝突させたこと、一方原告は、前記南行車線を時速約四〇キロメートルで進行し、進路前方には先行車がなかつたところ、対向車の動向を注視していなかつたため、加害車の発見が遅れ、同車が前記のとおり右折横断中、その約三メートル手前に到つてようやく同車を発見したが、制動措置等の事故回避措置を講じる暇もないまま、前記衝突に至つたこと以上の各事実を認めることができ、前掲甲第一四号証及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らしたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によれば、村瀬は、前方の安全を確認して右折横断すべき注意・義務があるのに、右折時期を誤り、かつ、対向直進車である被害車の動向を看過した過失により同車の進路を妨害し、本件事故を惹起したことが明らかであるから、爾余の諸点について判断するまでもなく、被告松村の免責の抗弁は理由がないというべきである。

第四損害

一  受傷、治療経過等

原告本人尋問の結果とこれによつて成立を認める甲第二ないし第四号証、第一〇号証、成立に争いがない同第二二号証、第二五号証及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件事故により請求原因三1(一)の各傷害を被つたため、昭和四六年八月二八日から昭和四七年七月二八日まで三三六日間大阪医大病院に入院した後、同年七月二九日から同年八月一六日まで及び同年九月二六日から昭和四八年二月九日までの間に二二日同病院に通院し、かつ、その間昭和四七年八月一七日から同年九月二五日まで四〇日間浜坂七釜温泉病院に入院したこと、そして後遺障害として、(イ)左下肢が右下肢より五センチメートル短縮した(自賠法施行令別表後遺障害等級八級五号)うえ、(ロ)左膝蓋骨が欠損し、左下肢が左膝関節において一五度外反して同関節の運動領域は二六度(伸展一八〇度、屈曲一五四度)に限定され、同関節機能に著しい障害を残し、かつ左足関節の運動領域も五八度(蹠屈一七二度、背屈一一四度)で、同関節機能にも障害を残し(同一〇級一〇号)、(ハ)九本の上歯が欠損してこれらを補綴処理し(同一二級三号)、(ニ)下顎部に手術痕の醜状を残し(同一四級一〇号)、以上(イ)ないし(ニ)等の症状が昭和四八年二月九日ころ固定したこと、原告は右(イ)(ロ)の後遺障害のため、起座及び疾走が不能であり、また、起立及び歩行時には跛行を余儀なくされるうえ、長時間の歩行や階段の昇降も困難である等日常生活上種々の不便を来たしており、現に昭和四九年九月一八日前記後遺障害のため、外出先の大阪駅階段で転倒して同日から通院加療七日間を要する左膝関節部挫傷の傷害を被つたことがあること以上の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  治療関係費 二六万七九七〇円

1  治療費 六万九一七〇円

原告本人尋問の結果とこれによつて成立を認める甲第七号証、第八号証の一ないし四、第九号証の一ないし五、第一一号証の一、二、成立に争いがない同第二四号証の一ないし九によると、原告は、入院治療費として、前認定大阪医大病院において一八六〇円(ただし、自己負担分)、浜坂七釜温泉病院において一万四〇六〇円(ただし、自己負担分)を各要したほか、補助装具代として四万七五五〇円、大阪医大病院及び浜坂七釜温泉病院の診断書料として五七〇〇円を各要したことが認められる。しかし、原告が右金額を超える診断書料を要したことはこれを認めるに足りる証拠がない。

2  入院雑費 一一万二八〇〇円

原告は、経験則によれば、前記三七六日の入院期間中、一日三〇〇円の割合による合計一一万二八〇〇円の入院雑費を要したことが認められる。

3  入院付添費 七万二〇〇〇円

原告本人尋問の結果に前認定受傷の内容、治療経過を合わせ考えると、原告は、前認定大阪医大病院における入院期間のうち六〇日間付添看護を要したため、その間自己の母が付添着護に当つたことが認められるところ、経験則によれば、右付添看護により一日一二〇〇円の割合による合計七万二〇〇〇円の損害を被つたことが認められる。

4  通院等交通費 一万四〇〇〇円

原告本人尋問の結果によると、原告は、前認定大阪医大病院への通院のため小計七七二〇円(タクシー往復七〇〇円一〇回分、バス往復六〇円一二回分)、同じく浜坂七釜温泉病院への入退院のため小計六二八〇円(原告本人分汽車賃往復三一四〇円、原告の右入院に際し、原告の父の付添を必要とし、同人が付添つため、同人分汽車賃往復三一四〇円)、合計一万四〇〇〇円の交通費を要したことが認められる。しかし、浜坂七釜温泉病院への交通費につき、右金額を超える分については、これを認めるに足りる証拠がない。

三  逸失利益 七八万六四二八円

1  休業損害 七八万六四二八円

成立に争いがない甲第五、第六号証、第一九号証の一ないし九、第二〇号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、事故当時二四歳で、尼崎市役所大庄支所内福祉事務所に勤務し、一か月当り原告の主張するとおりの内訳による五万九八八八円の給与収入を得ていたが、本件事故により昭和四六年八月二八日から昭和四七年一〇月三一日まで休業を余儀なくされ、その間原告の主張するとおりの内容による給与小計六一万一九八五円並びに昭和四六年末、昭和四七年夏期及び同年末の各賞与のうち小計一五万八七八三円、以上合計七七万〇七六八円の収入を失つたほか、右昭和四七年一〇月一日になされるべき五等級七号俸から同級八号俸への定期昇給が昭和四八年三月三一日まで延伸されたため、昭和四七年一一月一日以降も昭和四八年三月三一日まで一か月当り右昇給差額分三一三二円の割合による小計一万五六六〇円の給与収入を失つたことを認めることができる。

2  将来の逸失利益

一般に後遺障害に基づく逸失利益の賠償を請求しうるためには、単に労働能力の減少を来たしただけでは足りず、更にそのことによつて従前の収入が減少して損害が発生することを要するものと解するのが相当である(最高裁昭和四二年一一月一〇日判決民集二一・九・二三五二参照)ところ、原告が本件後遺障害のため日常生活上種々の不便を来たしていることは前認定のとおりであり、そのことによつて労働能力も相当程度減退していることは推認しうるが、しかし、前掲甲第六号証、第一九号証の一ないし四、第二〇号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件後遺症固定前である昭和四七年一一月一日から職場に復帰し、爾来今日に至るまで担当職務は外勤を伴う従前の福祉事務所の乗務から内勤の市民課の業務に変更したものの稼働を継続してきており、前認定のとおり延伸されていた昭和四七年一〇月一日付定期昇給も昭和四八年四月一日には実施されたうえ、その後も同年一〇月以降定期昇給が実施されており(したがつて、右昇給延伸が原告の停年まで影響する旨の原告主張事実は認められない。)、労働能力減退による給与の減収はないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はなく、また、原告が昭和四九年九月一八日本件後遺障害のため大阪駅階段で転倒、負傷したことは前認定のとおりであり、その結果原告が勤務先を同日から同月二五日まで欠勤したことは前掲甲第二五号証及び弁論の全趣旨によつて窺われるが、今後とも同様の転倒事故により給与の減少を伴う程の休職若しくは退職を余儀なくされる虞れがあるなど特段の事情を認めるに足りる証拠のない本件においては、原告は、前認定の後遺障害に基づく労働能力減退を理由とする逸失利益の賠償請求をすることはできないものというべきである(ただし、右労働能力減退の事情は、後記慰藉料額算定の事情として考慮することとする。)

四  慰藉料 五五〇万円

本件事故の態様、原告の被つた傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、これによる労働能力減退の内容、原告の年齢その他諸般の事情を考え合わせると、原告の慰藉料額は五五〇万円とするのが相当であると認められる。

五  被害車破損料

前掲甲第一二号証によれば、本件事故により被害車の前輪が大破したことが認められるが、甲第二一号証の一、二及び原告本人尋問の結果によつても右破損料額を確定するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

第五過失相殺

前記第三認定の事実によれば、本件事故の発生については原告にも前方不注視の過失が認められるところ、前記認定の村瀬の過失の態様等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として原告の損害の三割を減ずるのが相当と認められる。

そうすると、被告らにおいて支払わなければならない損害額は、前項の合計六五五万四三九八円の七割に相当する四五八万八〇七八円ということができる。

第六損害の填補

請求原因四の事実は当事者間に争いがない。

よつて、原告の前記損害額四五八万八〇七八円から右填補分合計二七七万円を差引くと、残損害額は一八一万八〇七八円となる。

第七弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は一八万円とするのが相当であると認められる。

第八結論

よつて被告らは各自、原告に対し、一九九万八〇七八円、及びうち弁護士費用を除く一八一万八〇七八円に対する本件不法行為の日の後である昭和四六年八月二九日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大田黒昔生)

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